魚介類の支出額、海の有無ではほぼ差が無い
総務省の家計調査(2023〜2025年平均、都道府県庁所在市及び政令指定都市)から、魚介類全体への支出額を都道府県庁所在市ごとに並べた。「海が無い県は魚を食べない」という直感は、総額で見る限り成立しない。
都道府県庁所在市別・魚介類支出額(2023〜2025年平均、円)
海なし県(8県)
沿岸県
海なし県8県の平均は73,532円、沿岸県の平均は73,056円。海なし県の方がわずかに高い。奈良(7位)・長野(11位)・山梨(15位)は上位に食い込み、下位に沈むのは群馬(39位)・岐阜(34位)だけ——「海が無いから魚を食べない」という単純な図式は、データの上では成り立たない。
品目を「まぐろ」に絞ると、逆転が起きる
魚介類全体では差が無かった。ところが、日本人が一番好きな魚のひとつ「まぐろ」だけを見ると、まったく違う顔が現れる。
都道府県庁所在市別・まぐろ支出額(2023〜2025年平均、円)
海なし県(8県)
沿岸県
山梨(甲府市)が全国2位。1位は駿河湾を抱える静岡だが、3位東京・4位千葉・5位神奈川に続いて、6位栃木・7位群馬・10位埼玉と、海の無い県が上位10位のうち4県を占める。
その一方で最下位(47位)は長崎、46位大分、45位山口、44位福岡——いずれも有数の漁港を抱える県。海に一番近いはずの県が、まぐろを一番食べていない。
甲府とマグロを結んだ「魚尻線」
なぜ海から一番遠い内陸県のひとつ・山梨が、まぐろ消費で全国2位なのか。答えは、江戸時代までさかのぼる交易路の歴史にある。
戦国時代(16世紀)
甲斐国(現在の山梨県)を治めた武田信玄の時代から、駿河湾で獲れた魚介を内陸まで運ぶ道があったと伝わる。海のない甲斐にとって、海産物は貴重な交易品だった。
江戸時代後期
駿河湾でまぐろの豊漁期を迎え、鮮度を保てる限界地点——いわゆる「魚尻線」の内側にあった甲府まで、馬の背に乗せて運ばれるようになる。塩や氷が今のように自由に使えない時代、人足たちは道中の速さで鮮度を競った。
同時期〜
甲府の寿司職人たちは、輸送中に鮮度が落ちたまぐろを酢で締めたり、醤油に漬けたりする技術を発達させた。生の状態に近づける工夫が、独自の食文化として根づいていく。
現在
山梨県は人口あたりの寿司店舗数が全国1位。まぐろ消費額は全国2位を維持し続けている。海の無い県が、海の幸の文化を最も色濃く残す県のひとつになった。
海が無かったからこそ、新鮮でない魚をおいしく食べる工夫が生まれ、それが今も続く食文化になった——海から遠いことが、逆に独自の魚食文化を育てた例だと言える。
結論:海の有無より、交易路の歴史が魚食文化を決めている
今回のデータからわかるのは、「海に近いか遠いか」が魚食文化を決めているわけではない、ということだ。決めているのは、どの交易路・経済圏とつながってきたかという歴史の積み重ねだった。海に一番近い県が一番魚を食べているとは限らない——そのことを、まぐろというひとつの魚が教えてくれる。
データと方法について(正直に)
- 魚介類・まぐろ支出額
- 総務省「家計調査(二人以上の世帯)」品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング、2023年〜2025年平均。都道府県庁所在市(及び一部の政令指定都市)単位の統計であり、県全体の平均ではない点に留意。政令指定都市のうち、県庁所在地ではない5市(堺市・相模原市・川崎市・北九州市・浜松市)は47都道府県との対応を保つため今回の集計から除外した。
- 海なし県の定義
- 栃木県・群馬県・埼玉県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県・奈良県の8県(海に面していない都道府県)。
- 「魚尻線」と歴史的経緯について
- 魚尻線(うおじりせん)は、内陸まで鮮魚を運べる限界地点を指す民俗学・地理学上の概念。山梨・甲府と駿河湾を結ぶ輸送の歴史は複数の郷土史・観光資料で紹介されているが、武田信玄が実際にまぐろを好んだという逸話は史料による裏付けが薄く、伝承の域を出ない点は正直に記しておく。
- 相関について
- 本ページで示した「海なし県 vs 沿岸県」の比較は平均値の単純比較であり、統計的な相関係数の検定は行っていない。8県という少ない母数での比較である点にも留意されたい。