データで語る日本文化 第7回

新米の季節に、
ごはんの話。

お米と健康、江戸患いの記憶。——新米が出回るこの季節に、あらためて「白いごはん」と健康の関係を考える。江戸時代、精米が広まった都市部では原因不明の病が流行した。それは白米そのものが引き金だった、れっきとした因果関係だ。では現代の糖尿病はどうか。47都道府県の「米」購入額を重ねてみると、話はそう単純ではなかった。

米購入額×糖尿病有病率の相関係数(本ページで実測)
r = —
糖尿病有病率 最高(佐賀)と最低(神奈川)の差
2.2倍
日露戦争、麦飯を拒んだ陸軍の脚気死者(海軍はわずか3人)
約2.7万人

47都道府県を、1つの図に重ねる

横軸は都道府県庁所在市の「米」年間購入額(総務省・家計調査、2023〜2025年平均)、縦軸は人口1万人あたりの糖尿病患者数(厚生労働省「患者調査」2017年)。もし「ごはんをよく食べる県ほど糖尿病が多い」なら、右上がりの傾向が出るはずだが——。

米の購入額 × 糖尿病有病率(都道府県別)
全国平均より有病率が高い 全国平均より低い
宮崎県——米の購入額は34,346円と全国トップ5。ところが糖尿病有病率は192.84人(1万人あたり)で、全国でも少ない方から2番目。ごはんをよく買う県のはずが、この指標では最も"健康"な部類に入る。
逆に佐賀県は、糖尿病有病率が全国ワースト1位(400.49人)。だが米の購入額は29,202円と、全国平均(30,111円)をやや下回る、むしろ"控えめ"な水準。有病率トップの県が、米の購入額では平均にも届いていない。

なぜ関係が見えないのか

理由は大きく2つ考えられる。1つは、家計調査の「購入額」は世帯単位の支出であり、外食・社員食堂・コンビニのおにぎりや弁当で食べる米は含まれない。玄米か白米かの内訳もわからない、あくまで「世帯が店で買った米の金額」でしかない。

もう1つは、糖尿病そのものが多因子で決まる病気だということ。肥満・運動不足・加齢・遺伝・脂質や糖分の摂取など、米の購入額よりずっと強く効く要因がいくつも重なっている。1つの食品の購入額だけで有病率の地域差を説明できる方が、むしろ不自然かもしれない。

今回の相関係数はほぼゼロ(r ≈ {{r}})。これは「米と病気に関係がない」ことの証明ではなく、「購入額という指標では、糖尿病の地域差を説明できない」ということ。実際、歴史をさかのぼると、米と病気が明確に直結していた時代が、確かに存在した。

江戸患いの記憶——米が、本当に原因だった時代

精米技術が広まり、江戸や大坂で白米が庶民の食卓にまで浸透した江戸時代。都市部で謎の病が流行した。足がしびれ、むくみ、進行すると心不全で命を落とす。地方に戻ると治ることが多かったため「江戸患い」と呼ばれたこの病は、のちに脚気と判明する。原因はビタミンB1不足——白米は精米の過程で、胚芽に含まれるビタミンB1をほとんど削ぎ落としてしまう。

脚気の原因がビタミンB1不足だと科学的に解明されたのは、鈴木梅太郎らによる研究(1910年代)を経てから。高木の兵食改革(洋食から麦飯へ)は、原因物質が特定されるより先に、統計と経験則だけで正解にたどり着いていた。

今、玄米や雑穀米が見直される理由

玄米や胚芽米には、白米で失われるビタミンB1・食物繊維・ミネラルが残っている。血糖値の上昇度を示すGI値も、白米よりゆるやかとされる。江戸患いの時代とは逆に、今度は「削ぎ落とさない米」が見直されている格好だ。ただし家計調査には玄米や雑穀米を単体で集計した品目が無く、今回のデータで地域差を裏付けることはできない。あくまで一般に知られた栄養学的な知見として触れるにとどめる。

赤飯のルーツも、実はこの「米の色」に関わる話につながる。もち米に小豆を加えて赤く炊く赤飯の起源は、弥生時代に大陸から伝わったとされる古代の赤米にあるという説が有力だ。赤い色には邪気を払う力があると信じられ、やがて白米が主流になった後も、祝いの席では"米が赤かった頃"の記憶を再現するように、赤飯が特別な日の食として定着していったと考えられている。

データと方法について(正直に)

米の購入額
総務省「家計調査」(二人以上の世帯)、品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング、2023年〜2025年平均。世帯が店舗等で購入した金額であり、外食・中食(コンビニ・弁当)で消費した米や、玄米・白米の内訳は含まれない。
糖尿病有病率
厚生労働省「患者調査」2017年、人口1万人あたりの患者数(とどラン集計)。医療機関を受診した患者数がベースのため、受診率や診断体制の地域差も反映されている可能性があり、実際の有病率そのものとは完全には一致しない。
脚気の歴史(高木兼寛の実験・日露戦争の数字)
海軍軍医・高木兼寛による1884年の兵食改革実験、および日露戦争における陸海軍の脚気患者数・死者数は、複数の医学史・軍事史資料で広く紹介されている数値。1884年の筑波での実験食は当初「麦飯」と記していたが、読者から国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の一次史料(『海軍脚気病予防事歴』)のご指摘を受けて確認したところ、この年の実験食は麦を含まず肉・パンを増やした洋食中心で、麦飯への切り替えは翌1885年だったため訂正した。資料によって細部の数字に幅があるため、おおよその規模として捉えてほしい。なお「陸軍の脚気惨害は森鴎外個人の責任」とする説は、根拠が薄い俗説だとする指摘があり(板倉聖宣説の検証)、本ページでは修正済み。脚気伝染病説は当時の医学界の主流説であり、兵食の決定権者は森鴎外ではなく石黒忠悳・小池正直ら陸軍医務局長だった。
相関について
本ページで計算した相関係数は、2つの統計の関連の強さを示すもので、因果関係を証明するものではない。相関が無いことも同様に、「関係が無い」ことを証明するのではなく、購入額という指標の限界や、他の要因(生活習慣全般)の影響が大きいことを示唆するに留まる。
出典
家計調査 品目別ランキング(総務省統計局) 都道府県別糖尿病患者数(とどラン/厚生労働省患者調査)
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東日本は納豆好き、西日本は苦手。